カルヴィーノ『アメリカ講義』を読んで

ハーヴァード大学ノートン詩学講座(1985-86)のために準備されながら、結果としてカルヴィーノの遺著となった作品。「軽さ」「速さ」「正確さ」「視覚性」「多様性」と題された5つの章に、一連の講義の第1回として用意されていた「始まりと終わり」が補遺として収録されている。取り上げられたテーマには、普通文学とは結び付けられないようなものがみられるが(e.g.軽さ、速さ)、それらはカルヴィーノ作品において大きな意味を成すものである。

今回は、カルヴィーノが本書の中でたびたび言及し、講義全体においても重要な位置を占める二人の古典作家に注目したい。すなわちルクレティウス『事物の本性について』とオウィディウス『変身物語』とである。この二作品が、「軽さ」「速さ」「多様性」といったカルヴィーノ的な観点から新しく捉えなおされていく。

まず、「軽さ」についての講義の中で、カルヴィーノは次のように言う。

私はいっさいの重苦しさが解きほぐされるような見方を養ってくれる滋養を科学に求めているというわけです……*1

彼はこのような視点からの「詩と科学の融合」の源流をルクレティウスにもとめる。実際、ルクレティウスは、重い宗教に押しつぶされた人間の生をエピクロス哲学によって解放し、万物を、原子と空虚という「軽やかなもの」に解体する。そして「その勝利は我々を天へと高める」とまで歌うのである*2。ここでは科学と詩という一般に相反すると考えられるふたつのものが見事な調和を見せている。ルクレティウスの歌う自然は、エピクロス哲学の原子論という科学的な視点によって却っていきいきとしたものになっているのである。こうして原子同士の多様な結びつきから想像力を獲得するルクレティウスに、カルヴィーノは「万物が万物と無限に関係し合う体系」というモデルを見出だす*3。この視点はオウィディウスの『変身物語』にも共通している。変身譚の集成に過ぎず緊密性がないと言われることもあるこの作品の短所は、今や「変身/変容(Metamorphoses)」を通して諸事物間の果てしない連関を提示するという長所へと逆転する*4。そしてこれが、講義の後半で論じられるガッダやムージルプルーストボルヘスといった現代文学のもつ「百科全書的」性格とつながりを持ってくるのである。

すなわち百科事典としての、認識の方法としての、またとりわけ世界の事物や出来事や人間の関係の網の目としての、現代小説というテーマ……*5
二十世紀の偉大な小説のなかで形を表すのが、開かれた(aperta)百科全書という観念です。*6

このように「軽さ」や「速さ」というカルヴィーノ作品において重要な意味を持つ主題を通して、ルクレティウスオウィディウスに新しい光が当てられていくさまは見事と言うよりない。今回触れたのは全体のごくわずか、ごく一部に過ぎないが、これだけをもってしても大変刺激的な作品だと言えるだろう。

カルヴィーノ(米川良夫・和田忠彦訳)『アメリカ講義―新たな千年紀のための六つのメモ―』、岩波文庫 2011
カルヴィーノ アメリカ講義――新たな千年紀のための六つのメモ (岩波文庫)

追記:実はこの書物を読み始めたのはある方に教えられたのがきっかけでした。もしかしたら知らなかったかもしれない世界を教えてくれたことに重ねて感謝!

*1:p.26.

*2:Lucr.1.79.

*3:p.196.

*4:すると15巻のピュタゴラスの教説も違った角度から読めるかもしれない。

*5:p.187f.

*6:p.204.