垂翅の客

草森紳一『李賀 ―垂翅の客―』,芸術新聞社 2013

読了。

 古来難解で知られ,「註なしには読めない」とも言われた
中国唐代の詩人・李賀の評伝。もともと思潮社の『現代詩手
帖』に第二部まで連載され未完に終わっていたものが,小説
「悲しみは満つ 千里の心」とともにこの度一冊にまとめら
れた。

 副題の「垂翅の客」とは,羽を垂らした,失敗した旅人の
ことであり,それは27歳で世を去った李賀のことを指す。
 韓愈の推挙を得,河南府試という官吏への予備試験へ合格
し,いよいよ本試験の進士科を受けるべく長安へ上京した李
賀は,進士の「進」と彼の亡き父晋粛の「晋」の字が同音で
あるゆえ諱(いみな)―これは皇帝や先祖を尊崇する礼法
であった―に触れるとの讒訴を受け,いわば永久に科挙
受験資格を剥奪されてしまう。
 そして,この挫折が決定的なものとなってあの壮絶な詩が
生まれた。

長安男児あり
二十にして心巳(すで)に朽つ
楞伽(りょうが) 案前に堆(うずたか)く
楚辞 肘後に繋げり
人生 窮拙あり
日暮 聊か飲酒
祇今(ただいま) 道巳に塞(ふさが)り
何ぞ必ずしも白首を須(ま)たん
                「贈陳商」

この「男児」の一語には,著者によれば「朽ちるべきでない
ものが,朽ちたという怨念がこめられている」ので
あり*1,李賀の詩にはこの恨みとも怒りとも悲しみとも言い切
れぬ激しい情念が溢れている。それは詩人の心情の吐露であ
るにとどまらず,詩人を取りまく世界をすら異様なものへ変
容させてしまう。たとえば

秋風 地を吹けば 百草乾けり
華容の碧影 晩寒を生ず
           「開愁歌」
草暖く 雲昏(くら)く 万里は春
      「出城寄権據楊敬之」
草の髪 恨みの鬢を垂れ
光の露 幽涙を泣けり
           「昌谷詩」

と歌われた自然は詩人の無念に呼応するかのようにグロテス
クな姿を見せている。
 W.ベンヤミンは,「話せないということ,これは自然の大
きな苦悩である」と言い,「もしも自然に言語が授けられた
なら,すべての自然は嘆きはじめるであろう」とも述べてい
るが*2,李賀の苦悩はまったく個人的なことに出発していなが
ら,まさにこの自然の中の無念の想い,嘆きの声を汲みとっ
たのだと言えるかもしれない。このことが李賀の鬼才と呼ば
れるゆえんであろう。鬼才の「鬼」とは,死霊のことである。
この語については,

鬼は,呼ぶものにあらず。呼びて来たる鬼,外道なり。鬼,
おのずから内にありて,しかも外より来る*3

という言葉にに勝るものはない。

 著者の解釈にはときにかなり踏み込んだ,大胆とも思える
箇所があるが,それは「解釈のわずらわしさを避けない心が
まえがなければ李賀の詩は読めない」という態度から来るも
ので,この姿勢があってこそ,李賀の評伝という困難な仕事
が為しえたのであろう。


李賀 垂翅の客

李賀 垂翅の客

*1:p.304.

*2:「言語一般および人間の言語について」『ベンヤミン・コレクション 1 ―近代の意味― 』,ちくま学芸文庫 1995所収; p.32f.

*3:「悲しみは満つ 千里の心」,本書 p.637.